首領(ドン)に迫る~田中清玄 逆賊の汚名を着ても、大義のために死ねる境地だ③
この対談は既に絶版になってしまい入手困難になっているテレビ朝日「トゥナイト」での対談をまとめた書籍からの抜粋です。昭和57年(1982年)6月に出版された「田原総一朗 首領に迫る」(サンマーク出版)です。サンマーク出版さんのご好意もあり、デジタルでも皆様にお届けできることを嬉しく思っています。
私、田原総一朗が各界の首領(ドン)たちに、気概や日本への思いなどをインタビューして鋭く斬り込んでいく内容です。文章の表現など、現在の時代背景にそぐわない部分もありますが、当時の世相を反映するものとして原文のままで配信します。
田中清玄(たなか きよはる)

石油は、インドネシア独立運動を助けたお礼だよ
田原 ところで田中さんといえば、みんな、 "石油"というふうに見てます。インドネシア、あるいは中東の石油を日本に持ってきた人だということで知られてます。なぜ、田中さんはそれが可能だったんですか。
田中 要するに、商売人じゃねえんだなあ。 金ぶらさげてって、どうぞ石油くださいではね。僕はインドネシアのスカルノ打倒の革命助けたことがある。このお礼の石油だよ。
田原 スカルノ打倒革命ってのは、一九六五年の九月三〇日。
田中 オランダからの独立運動も助けた。
田原 インドネシアの独立運動ね。田中さんは、あれも助けたわけですか。
田中 もちろん。
田原 どういうふうに助けたんですか。
田中 例えば、インドネシアの独立運動をやった連中は、資産がなくて困っている。これら反乱を起こした連中を日本に亡命させたね。それから、一九六〇年の九月三〇日事件。共産党とスカルノが組んでクーデターやった、共産党クーデター。
田原 具体的にどんな援助をされた?
田中 食糧ですね。軍も民衆も、金よりもなによりも、米がなくて困ってるっていうんで、これを送った。
田原 どこから米を持ってきたんですか。
田中 ビルマのウ・タントの弟。 これにずいぶん骨を折った。 それから、タイの政府も援助してくれた。
田原 そのときは、田中さんはどこにいらしたんですか。
田中 オレ? タイに拠点おいてある。
田原 すると、タイに前戦基地があって、田中軍団みたいのがあったわけですか。
田中 もちろん。
田原 兵隊はどういう人がなったんですか。
田中 かつての革命の同志もおれば、東南アジアを志していった軍人たちもおりますよ。
田原 日本軍の軍人ですか。
田中 そう、日本の軍人。三〇〇〇人死んでる。
田原 三〇〇〇人!!!
田中 インドネシアの独立運動助けて、オランダ軍と戦って、それだけ死んでる。 それから、東南 アジアを志した志士がずいぶん犠牲になっている。
田原 志士というのは、現地の人ですか。
田中 いや、日本人と、日本人が養成した人たち。スハルトさんなんか、日本人がインドネシアの独立義勇軍つくるために建てた養成学校の出身だからな。
田原 じゃあ、元日本軍の人が、たくさんあちこちに散らばってるわけですか。
田中 今でもけっこう残ってるよ。
田原 で、一九六〇年九月三〇日の革命では、旧日本軍はかなり具体的に動いたわけですか。 何人ぐらい動いたんですか。数百人ですか。
田中 もっと多いんじゃないですか。
田原 そんないっぱいいるんですか。
田中 現地人といっしょになって生活してる人もおるしね。そういう人の犠牲のうえに、日本は戦後出てきたんだね。インドネシアにも、タイにもおるしね。
田原 したがって、油もくれるわけですね。
田中 ああ。それを無視して、商社や政治家のやつらは利権できやがるから、なんだこのやろう、ということになる。それが、もうダメにしちまってる。
田原 そういう田中さんの動きをよくわからないから、黒幕だってことになるわけですか。
田中 黒幕か白幕か知らんけどねえ。そういうね、アホみたいなやつを現地へ連れてって、革命を助けて命失ったやつの墓の前、ツラこすりつけてやりたいというぐらいの義憤感じるな。
田原 そういうことがあるから、インドネシアから、田中さんのいうことならわかったというわけで、日本に油がきたんですね。
田中 独立政権に協力してきたそのお礼として、油をいただいたわけですよ。

