首領(ドン)に迫る~川上哲治”悪の管理学”なんていうけど、プロは勝たなきゃ①

絶版になっている対談集からお届けする第3弾は川上哲治さんです。
田原総一朗 2026.08.25
読者限定

田原総一朗です。続いては川上哲治さんです 。

この対談は既に絶版になってしまい入手困難になっているテレビ朝日「トゥナイト」での対談をまとめた書籍からの抜粋です。昭和57年(1982年)6月に出版された「田原総一朗 首領に迫る」(サンマーク出版)です。サンマーク出版さんのご好意もあり、デジタルでも皆様にお届けできることを嬉しく思っています。

私、田原総一朗が各界の首領(ドン)たちに、気概や日本への思いなどをインタビューして鋭く斬り込んでいく内容です。文章の表現など、現在の時代背景にそぐわない部分もありますが、当時の世相を反映するものとして原文のままで配信します。

川上 哲治(かわかみ てつはる) 

選手時代は打撃の神様" "赤バットの川上〟"テキサスの哲〟と呼ばれ、野球ファンを魅了し、監督時代は"哲のカーテン"に象徴される〝管理野球〟で九連覇の偉業を成しとげた。引退後は少年野球の指導に当たるほか、プロ野球界にも大きな影響力を及ぼしている。 
大正九年三月二三日、熊本県球磨郡大村字辻郷(現在の人吉市南泉田 町)に生まれる。当地はすでに野球が盛んで、特に父の伊兵次は野球 が好きだった。 大村小学校四年の川上に、ウチワを貼った壁に、三〇メートル離れたところから球を投げさせたという逸話は有名。この年、大村小チームは全九州少年野球大会に出場、彼は八番打者としてホー ムランを打った。そして、五年、六年は投手としても大活躍。この剛 球が熊本工業学校の教師・坂梨の眼にとまり、熊本工業学校機械科へ 進学。昭和一二年に甲子園出場、決勝で中京商業に敗れる。が、秋の 明治神宮体育大会では優勝の栄冠に輝く。 

翌年、バッテリーを組んだ吉原正喜とともに巨人軍に入団する。川上は入団二年目の一四年に打率三割三分八厘で首位打者となった。その後、戦火が広がり野球も中止され、吉原は戦死する。

戦後、軍隊から復員してきた川上は食糧難のため、「百姓こそ一生の仕事」と決めたが、 巨人軍から復帰要請があり、二一年に再登録。 その翌日の対セネタース戦に五番で出場。以来、赤バットで一世を風靡した。現役を引退する三三年までに、選手生活一八年、安打二三五 一本、本塁打一八一本、通算打率三割一分三厘、 最優秀選手三回、首位打者五回、本塁打王二回、打点王四回など、数々の大記録を残した。この間に「ボールが止まって見える」の名言を生み、今なお〝打撃の神様"と呼ばれている。 

長島茂雄が入団した三三年に、川上は引退。翌年から二年間、水原監督(故人)のもとでコーチとなり、三五年一一月に巨人軍監督に就任 した。三六年、アメリカ・ベロビーチのドジャースタウンで初の海外 キャンプを行い、ドジャース戦法を吸収。これによって従来の「投げて打つ野球」から、いわゆる「走る野球」を実践するようになる。そして、四〇年から四八年まで九年間連続日本一という偉業を達成。

翌年、巨人が優勝を逃し、長島が現役引退したのを機に、監督の座を長島に譲った。「監督の交替は、だいたいチームが弱いときに行われるものだ」と川上は明言するが、さて長島も弱いチームを引き継いだことになった。

その後、監督をやめてからNHKの解説者として活躍する一方、「少年野球教室」を全国的に実施し、それを通じて青少年の心身育成に尽力する。 

また九連覇の経験を生かしての人心掌握術、企業経営法についても、川上理論は高く評価され、全国から講演の依頼が殺倒している。

チームプレーを徹底したら『悪の管理学』に 

田原 川上さんていうとね、管理というのが非常に似合うんだけれども、あの『悪の管理学』(川上の著作)ってのは、川上さんの命名なんですか。 

川上 いえ、違うんですよね。これはもうだいぶん編集の方とね、題をつけるのにやかましく議論 をしたんですがね。まあ、本当はああいう題をつけてもらいたくなかったんです。だけどもね、やっぱりその、せっかくこうして書かれたものをたくさん読んでもらうためには読者の方に関心を持 ってもらう、そのためにはこの題名をつけたほうがいいんだというようなことで、とうとう説得されたわけですよ。 

田原 しかしなんとなくマスコミが川上さんに持ってるイメージとね、合うところがあるんですよね。

川上 そうですかあ、そんな......(笑)。 

田原 川上さんといいますとね、僕ら子供のときには弾丸ライナー、赤バットと、ヒーロー中のヒーローですよね。僕も、もし三〇年前にお会いしたら、まずサインしてくださいとお願いしたと思うんですけどね。現役プレーヤー時代には名声をほしいままにされた川上さんが、今度は監督におなりになるとずいぶんマスコミから叩かれましたね、"哲のカーテンとかいわれて。マスコミからコテコテンにやられて、ずいぶん苦労されたようですが。 

川上 ええ、やっぱりあの"哲のカーテン"が悪かったんですね。 

田原 あれはだれがつけたんですか。 

川上 いやあ、あれはうまいこと、マスコミの人たちがつけたんですよ。ちょうどその頃、〝鉄のカーテン"という言葉が、ソビエトなどの社会主義国に向けていわれたわけですよ。そこから、あまり情報が流れてこないということで"哲のカーテン"とつけられたんですけどね。私の〝哲治の"哲"を取って。 

田原 そういうわけですか。 

川上 ええ。結局ね、やっぱり私はじめて監督になったもんですからね、チームを勝たせるためにはどうしても、練習にみんなが集中して、こちらが目指す野球をやってほしいわけですよね。チー ムプレーといいますか、お互いに協力してやっていくという野球をやりたかったわけなんですね。というのは、監督が代わるというときはどちらかというと、チームが弱いときなんです、プロ野球では。 

田原 川上さんの前は水原さんですね。 

川上 水原さんが、負けてね。 

田原 あれはたしか西鉄との日本シリーズでしたね。三連勝した後でジャイアンツが逆転された。

川上 私はその西鉄に四連敗した年に現役を引退したんです。それから二年間コーチでね、水原さんを助けていたんです。 

田原 当時西鉄の監督が三原さんで、ジャイアンツから追い出されたとか。遺恨試合だったんですね。

川上 因縁がからみましてね。そういうようなことで、監督が代わるときはチームは弱いもんですから、弱いチームが勝つためにはどうしてもチームプレーを重視した野球をやらにゃいかんということでね。 はじめてわたしが監督のときに採用したわけですよ、そのやり方を。

田原 どういうことですか。 

この記事は無料で続きを読めます

続きは、3694文字あります。

すでに登録された方はこちら

サポートメンバー限定
国会は面倒くさい場所、議員削減は全体主義の始まりだ 「これだけは言いた...
読者限定
首領(ドン)に迫る~川上哲治”悪の管理学”なんていうけど、プロは勝たな...
サポートメンバー限定
高市首相の睡眠不足投稿、プレッシャーは理解するが「面倒な議論から逃げる...
サポートメンバー限定
今の政治に足りないのは主体性と国家のビジョンだ 田原総一朗の「これだけ...
読者限定
首領(ドン)に迫る~田中清玄 逆賊の汚名を着ても、大義のために死ねる境...
読者限定
首領(ドン)に迫る~田中清玄 逆賊の汚名を着ても、大義のために死ねる境...
サポートメンバー限定
日本の「曖昧さ」は武器なのか? 高市政権の限界、そして「これだけは言い...
読者限定
首領(ドン)に迫る~田中清玄 逆賊の汚名を着ても、大義のために死ねる境...